定義如来と松島御朱印巡り
三角油揚げで有名な定義とうふ店がある定義如来は、およそ800年前、壇ノ浦の戦いに敗れた平貞能(たいらのさだよし)が、源氏の追討を逃れるべく阿弥陀如来の御霊像を守りながらこの地に隠れた際、名を定義(さだよし)と改めたことが、この地を「定義」、如来様を「定義如来」と呼んでいる由縁と言われます(HPより)。
そして松尾芭蕉が「奥の細道」の旅で訪れた松島は、宮城県仙台湾の北側にある松島湾一帯の総称で、湾内に大小260あまりの島が点在、安芸の宮島、天橋立と並ぶ日本三景です。この松島にある国宝「瑞巌寺」は、松島の風景に荘厳さが溶け込んでいる奥州随一のお寺です。この2つの観光名所で御朱印を集めましょう。
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定義如来 西方寺(さいほうじ)
宮城県仙台市青葉区大倉字上下鎮座
正式には極楽山西方寺。平貞能(さだよし)が定義(さだよし)と改名したことで音読み「じょうぎさん」と読んでいるが、地元では訛りと地名から「じょうげさん」とも呼ぶことも。 -
定義如来 貞能堂(さだよしどう)
平貞能公の遺言によりお墓の上にお堂を建て、ご本尊の阿弥陀如来像をお祀りしていました。堂内は自由に見学することができます。こちらと五重塔の御朱印は書き置きで授かります。
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定義山 五重塔
五重塔は貞能公への報恩感謝とその御供養と、人類の恒久平和を祈念して建立されました。浄土庭園と称する庭園、展示室、茶室があります。定義阿弥陀如来さまは、一生一代の大願も叶えて下さると言われています。
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瑞巌寺(ずいがんじ)
宮城県宮城郡松島町松島鎮座
臨済宗妙心寺派の寺院です。遠隔によれば創建は天長五年、慈覚大師円仁により開かれたのが始まりと言われ、江戸時代に入り伊達政宗により復興されました。御朱印は本尊の聖観音(しょうかんのん)でした。 -
五大堂
伝承によると創建は大同二年、毘沙門堂として建立され、瑞巌寺の開山でもある円仁が五大明王像を安置したことから「五大堂」と呼ばれるようになったとのこと。五大明王の御朱印は瑞巌寺で授かります。
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円通院(えんつういん)
瑞巌寺の南側にある臨済宗妙心寺派のお寺です。伊達政宗の孫・伊達光宗公の菩提寺で、東側には支倉常長が西洋から持ち帰ったバラを所蔵する「ばら苑」があります。御朱印は七観音の聖観世音(しょうかんぜおん)です。
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定義如来 西方寺(さいほうじ)
宮城県仙台市青葉区大倉字上下鎮座
正式には極楽山西方寺。平貞能(さだよし)が定義(さだよし)と改名したことで音読み「じょうぎさん」と読んでいるが、地元では訛りと地名から「じょうげさん」とも呼ぶことも。 -
定義如来 貞能堂(さだよしどう)
平貞能公の遺言によりお墓の上にお堂を建て、ご本尊の阿弥陀如来像をお祀りしていました。堂内は自由に見学することができます。こちらと五重塔の御朱印は書き置きで授かります。
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定義山 五重塔
五重塔は貞能公への報恩感謝とその御供養と、人類の恒久平和を祈念して建立されました。浄土庭園と称する庭園、展示室、茶室があります。定義阿弥陀如来さまは、一生一代の大願も叶えて下さると言われています。
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瑞巌寺(ずいがんじ)
宮城県宮城郡松島町松島鎮座
臨済宗妙心寺派の寺院です。遠隔によれば創建は天長五年、慈覚大師円仁により開かれたのが始まりと言われ、江戸時代に入り伊達政宗により復興されました。御朱印は本尊の聖観音(しょうかんのん)でした。 -
五大堂
伝承によると創建は大同二年、毘沙門堂として建立され、瑞巌寺の開山でもある円仁が五大明王像を安置したことから「五大堂」と呼ばれるようになったとのこと。五大明王の御朱印は瑞巌寺で授かります。
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円通院(えんつういん)
瑞巌寺の南側にある臨済宗妙心寺派のお寺です。伊達政宗の孫・伊達光宗公の菩提寺で、東側には支倉常長が西洋から持ち帰ったバラを所蔵する「ばら苑」があります。御朱印は七観音の聖観世音(しょうかんぜおん)です。